
美術館 オシャレしてお出かけ情報
こんにちは。
今日はちょっと興奮しています。
金券ショップ店長のシバです。
今!あのジブリ絵職人、「男鹿和雄展」が地元のにきています。
男鹿和雄展、トトロの森を描いた人。
これは2007年7月21日から9月30日まで開催されます。
ちょうど夏休みとあって、ジブリファンでかなり混雑が予想されます。
当金券ショップでは、かなり早くから30枚ほどジブリを在庫していました。
でも、ほんとにアッと言う間にジブリ 男鹿和雄展は売れきれてしまいました。
ジブリはスゴイ人気です。
最初の1週間ですべてソルドアウトしてしまいました。
すごい人気です!
ほんとにゴメンなさいね。
また「ジブリ」の意味を考えながら、下町情緒が残る森下近くの町も紹介します。
一日かけてジブリから下町風情を楽しんでくださいね。
☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜
ちょっとその前に「ジブリの意味って何?」でしょうか。
ヤフー知恵袋のベストアンサーから探して見ました。
スタジオジブリの「ジブリ」とは、「サハラ砂漠に吹く熱風」という意味で
「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそう!!」
という気持ちが入っているそうです。
そして第2次世界大戦中にイタリアの偵察戦闘機が名前に使用していたものでもあり、
これを知っていた飛行機マニアの宮崎駿さんが名付けたそうです。
けれど後に本当は「ギブリ」と発音する事が発覚!
「ジブリ」とはある意味、宮崎さんの造語だったんですね。
☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆
またジブリで有名な 三鷹の森ジブリ美術館もあります。
![]() 三鷹の森ジブリ美術館 ![]() |
ジブリ大図鑑!ちょっとジブリショップを探して見ました。
ほんとうにジブリはワクワクものです♪
ジブリ大好き!ほんとにアレコレ!ジブリショップ300点 |
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
地元金券ショップのジブリ 東京都現代美術館スゴイ!!お勧め順路です♪
1、まず、ジブリ 東京都現代美術館とはちょっと離れていますが都営大江戸線「清澄白河駅」A3出口からでてください。
目の前の清澄庭園を目指しましょう。
・・・・清澄庭園・・・・ |
清澄庭園で緑を楽しんだ後、
近くのオープンエアーのカフェーでゆっくりお茶もいいものです。
2、資料館通りを歩いていってください。
すぐに「深川江戸資料館」があります。
私的には両国の「大江戸博物館」も大好きですが、
ここもかなり味があり、ステキな場所です。
とっても深川下町の情緒が好きになるかもしれませんよ。
・・・深川江戸資料館・・・ |
3、そのまま資料館通り歩いていってください。
ちょっと歩くと都立木場公園隣りに近代的な「東京都現代美術館」が現れます。
・・・東京都現代美術館・・・ |
ほんとに夏の一日をステキなジブリと下町で過ごすのもいいものです。
是非、時を忘れて楽しんできてくださいね♪
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こんにちは。
金券ショップ店長のシバです。
先日の早起きの日曜日は雨でした。ちょっとがっかりするぐらいのかなりの雨でしたので地元 東京両国 隅田川、お相撲の両国国技館並びにあります”江戸東京博物館”を思い出しちょっと行ってきました。
今日はかなり内容が重いので覚悟してくださいね(笑)
”常設展”と 特別展「ペリー&ハリス 〜泰平の眠りを覚ました男たち〜」 が開催されていました。
この時代背景はかなり私としては思い入れがあります。
幕末、そして江戸、ペリー来航は日本人ならば日本の転機として少しくらいは知っているのではないでしょうか。
幕末の志士、、
幕末の長州藩、吉田寅次郎松陰は安政6年(1859年)井伊直弼自身の手で死罪と書き改められ、しかもそれが斬首の屈辱的なものでありました。松陰はほんとに日の本を愛し、また日本人と慈しむ日の本を大切に考えました。最後の歌が眠っていた日の本の若き志士を奮い立たせました。
「身はたとえ 武蔵野の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
この歌を残した吉田松陰に 私は胸がグッときます。
そして、ちょうどこの頃から歴史が重なります。
1858年(安政5)、米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が結ばれ、ここから日本とアメリカは本格的な通商がありました。ペリー来航に始まり日米和親条約締結、そして日米修好通商条約に至る一連の推移は近代日本を方向づけた日本史上の大事件なのではないでしょうか。
ちょうど2008年(平成20)は、この日米修好通商条約締結から150年にあたります。ここでは、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点をあて、国内外約250点の資料で幕末の対外関係をわかりやすく紹介します。日本とアメリカの歴史、風土、文化を幕末を含めて理解していただくと大変興味深いとおもいます。
私の興味は19世紀です。捕鯨産業は大いに繁栄し、ニューイングランドの港から多くのアメリカ船が捕鯨に夢を託し、遠洋へ向けて出航していきました。このころ捕鯨業はニューイングランド地方の経済の基幹をなすまでに発展しています。そして1840年代になると、日本近海にまで鯨を求めてアメリカ船が頻繁に出没し、飲料水や薪炭を補給する寄港地を求めるようになりました。ちょうどペリー来航にはこのような背景がありました。
1854年(嘉永7)、このときペリーの2度目の日本来航により、アメリカと江戸幕府との間に日米和親条約が締結されました。幕末日本の国内では、黒船やペリーの肖像画を描いた瓦版などが印刷され、市井に広がってのが印象的です。当時の日本人が考えていた黒船に対する好奇心、黒船に対するイメージを版画や絵巻、肉筆の作品から紹介しています。日本を訪れたペリー艦隊の様相を知ってもらうため、海軍のサーベルや海軍の軍帽、ペリー肖像写真の展示もあります。
1854 年(嘉永7)に締結された日米和親条約。日本側原本は、幕末期の火災で焼失してしまいましたが、アメリカ側に残る原本が初来日しますのが今回です。
江戸幕府は、ペリー来航以前から海外情報を収集し、アヘン戦争などアジア情勢を見極めた上で、ペリーの武力に対し懸命の交渉を行いました。また、同時に幕府は軍備の洋式化を急ぎ、またペリーからの贈り物も有効に利用して最新の軍事技術を積極的に取り入れたのでした。かなり外圧の苦悩の中から世界に誇る技術立国の基礎を築いた日本の力を明らかにしたのではないでしょうか。
日本、初めて異国の地、すなわち江戸に足を踏み入れたペリー艦隊ですが、彼らの目には日本という国はどのように映ったのでしょうか?ペリー艦隊が米国に持ち帰ったお土産の品々や、ペリーが日本へ贈った品々から、双方の外交の交流の様子を紹介します。日本に対し、いかに文明国として進んでいるかを示す、科学技術の粋を集めた品々を送った米国。逆に、日本の伝統工芸の粋を集めた工芸品を送った日本。日米双方の贈答品を両国が所蔵するコレクションから展観します。スミソニアン自然史博物館が所蔵するペリーコレクションの一部が公開されますが、こんな交流も歴史を感じさせて楽しいものです。。
この時ドイツに生まれたウィリアム・ハイネは、1849年のドレスデン蜂起後にアメリカへ亡命しました。ハイネはペリー艦隊随行の「画家」として、各寄港地で、遠征先の風景をスケッチ画として残しています。
ペリーと来日したハイネは、異国の地日本に魅せられました。ペリー艦隊が日本への遠征を終えて帰国した後、ハイネの絵は公式報告書であるペリー艦隊日本遠征記の挿絵として掲載しました。ハイネの絵は、石版画の画集として出版され人気を博しました。
ハイネは、プロイセンの使節と再来日を果たし、1860年には半年ほどの間江戸に滞在し、そこで日本に関する年代記をはじめ多くの書物や版画類を収集したと言われています。その後、ハイネは何冊か本を出版していますが、そのほとんどは日本に関するものでした。
1854年(嘉永7)、このときの日米和親条約は、英文−蘭文−漢文−和文と何重にも訳されたため、この条約は英文と和文で齟齬が生じました。しかし日米のいずれか一方の判断で領事を置くことができるとした英文の条約(和文では両国双方の必要が生じた場合としている)にもとづき、1856年(安政3)、タウンセンド・ハリスは初代駐日米国総領事として赴任、通訳のヒュースケンとともに下田に来航しました。
この時江戸への出府と将軍への謁見を経て開始された条約交渉は、井上清直(いのうえきよなお)と岩瀬忠震(いわせただなり)という2人の幕臣が担当しました。井上はハリスの下田滞在当初から応接にあたり、ハリスが友と呼ぶほどの信頼関係を築きました。両者の激しい折衝のすえ、ついに1858年(安政5)6月19日(1858年7月29日)に日米修好通商条約が締結されました。
またハリスは、ニューヨーク市立大学の創立者でもありました。同大学が所蔵するハリスの書簡やパスポート等の遺品等の関係資料を一堂に展示します。さらに、日米修好通商条約のアメリカ側の原本も初来日します。また、幕府外交官たちの活躍にもふれ、巧みな外交で新たな時代の扉を開いた江戸幕府の内なる力を明らかになります。近年、下田で井上からハリスに贈られた茶道具が米国セイラムのピーボディー・エセックス博物館で発見されました井上とハリスの交流の証が、今回初めて里帰りしますのは嬉しい限りではないでしょうか。。
そして日米修好通商条約の条文には、この条約をアメリカで批准することが決められていました。 1860年(万延1)、幕府使節団は、かつて条約が締結された米艦ポーハタン号に乗って太平洋を渡り、ワシントンの地で条約の批准を行い、遣米使節随行員の日記やアメリカから持ち帰った品々を展示し、日本の外交使節の様相を紹介します。なかでも、使節の賄方として参加した飛騨出身の俳人・加藤素毛は、帰国後各地を巡り、その見聞を語りました。その見聞録や持ち帰った品々から、日本の民間レベルにおける海外情報の伝播と受容の姿を紹介、日本が近代という新しい時代に積極的に向き合い順応することができた豊かな土壌を探ってそうです。
こんな歴史が好きな金券ショップ店長シバですが、原稿を書いていてちょっと我にかえりました。私もほんとうに日の本って大事なのではないかと感じます。
でも最近を振り返ってちょっと疑問を感じることが多いです。日の本の日本人、そして日の本に相応しくない恥かしい日本人が周りに目に付きます。これが幕末からいくつきも年を経 進歩した日本人と言えるのでしょうか。全てとは言いませんが拝金主義、そして勘違い自由の国、自分さえよければいい今の日本人に胸が痛みます。先人が託し、残した吉田寅次郎松陰の歌が頭に過ぎるのは私だけでしょうか。
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金券ショップ店長のシバです。
先日の早起きの日曜日は雨でした。ちょっとがっかりするぐらいのかなりの雨でしたので地元 東京両国 隅田川、お相撲の両国国技館並びにあります”江戸東京博物館”を思い出しちょっと行ってきました。
今日はかなり内容が重いので覚悟してくださいね(笑)
”常設展”と 特別展「ペリー&ハリス 〜泰平の眠りを覚ました男たち〜」 が開催されていました。
この時代背景はかなり私としては思い入れがあります。
幕末、そして江戸、ペリー来航は日本人ならば日本の転機として少しくらいは知っているのではないでしょうか。
幕末の志士、、
幕末の長州藩、吉田寅次郎松陰は安政6年(1859年)井伊直弼自身の手で死罪と書き改められ、しかもそれが斬首の屈辱的なものでありました。松陰はほんとに日の本を愛し、また日本人と慈しむ日の本を大切に考えました。最後の歌が眠っていた日の本の若き志士を奮い立たせました。
「身はたとえ 武蔵野の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
この歌を残した吉田松陰に 私は胸がグッときます。
そして、ちょうどこの頃から歴史が重なります。
1858年(安政5)、米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が結ばれ、ここから日本とアメリカは本格的な通商がありました。ペリー来航に始まり日米和親条約締結、そして日米修好通商条約に至る一連の推移は近代日本を方向づけた日本史上の大事件なのではないでしょうか。
ちょうど2008年(平成20)は、この日米修好通商条約締結から150年にあたります。ここでは、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点をあて、国内外約250点の資料で幕末の対外関係をわかりやすく紹介します。日本とアメリカの歴史、風土、文化を幕末を含めて理解していただくと大変興味深いとおもいます。
私の興味は19世紀です。捕鯨産業は大いに繁栄し、ニューイングランドの港から多くのアメリカ船が捕鯨に夢を託し、遠洋へ向けて出航していきました。このころ捕鯨業はニューイングランド地方の経済の基幹をなすまでに発展しています。そして1840年代になると、日本近海にまで鯨を求めてアメリカ船が頻繁に出没し、飲料水や薪炭を補給する寄港地を求めるようになりました。ちょうどペリー来航にはこのような背景がありました。
1854年(嘉永7)、このときペリーの2度目の日本来航により、アメリカと江戸幕府との間に日米和親条約が締結されました。幕末日本の国内では、黒船やペリーの肖像画を描いた瓦版などが印刷され、市井に広がってのが印象的です。当時の日本人が考えていた黒船に対する好奇心、黒船に対するイメージを版画や絵巻、肉筆の作品から紹介しています。日本を訪れたペリー艦隊の様相を知ってもらうため、海軍のサーベルや海軍の軍帽、ペリー肖像写真の展示もあります。
1854 年(嘉永7)に締結された日米和親条約。日本側原本は、幕末期の火災で焼失してしまいましたが、アメリカ側に残る原本が初来日しますのが今回です。
江戸幕府は、ペリー来航以前から海外情報を収集し、アヘン戦争などアジア情勢を見極めた上で、ペリーの武力に対し懸命の交渉を行いました。また、同時に幕府は軍備の洋式化を急ぎ、またペリーからの贈り物も有効に利用して最新の軍事技術を積極的に取り入れたのでした。かなり外圧の苦悩の中から世界に誇る技術立国の基礎を築いた日本の力を明らかにしたのではないでしょうか。
日本、初めて異国の地、すなわち江戸に足を踏み入れたペリー艦隊ですが、彼らの目には日本という国はどのように映ったのでしょうか?ペリー艦隊が米国に持ち帰ったお土産の品々や、ペリーが日本へ贈った品々から、双方の外交の交流の様子を紹介します。日本に対し、いかに文明国として進んでいるかを示す、科学技術の粋を集めた品々を送った米国。逆に、日本の伝統工芸の粋を集めた工芸品を送った日本。日米双方の贈答品を両国が所蔵するコレクションから展観します。スミソニアン自然史博物館が所蔵するペリーコレクションの一部が公開されますが、こんな交流も歴史を感じさせて楽しいものです。。
この時ドイツに生まれたウィリアム・ハイネは、1849年のドレスデン蜂起後にアメリカへ亡命しました。ハイネはペリー艦隊随行の「画家」として、各寄港地で、遠征先の風景をスケッチ画として残しています。
ペリーと来日したハイネは、異国の地日本に魅せられました。ペリー艦隊が日本への遠征を終えて帰国した後、ハイネの絵は公式報告書であるペリー艦隊日本遠征記の挿絵として掲載しました。ハイネの絵は、石版画の画集として出版され人気を博しました。
ハイネは、プロイセンの使節と再来日を果たし、1860年には半年ほどの間江戸に滞在し、そこで日本に関する年代記をはじめ多くの書物や版画類を収集したと言われています。その後、ハイネは何冊か本を出版していますが、そのほとんどは日本に関するものでした。
1854年(嘉永7)、このときの日米和親条約は、英文−蘭文−漢文−和文と何重にも訳されたため、この条約は英文と和文で齟齬が生じました。しかし日米のいずれか一方の判断で領事を置くことができるとした英文の条約(和文では両国双方の必要が生じた場合としている)にもとづき、1856年(安政3)、タウンセンド・ハリスは初代駐日米国総領事として赴任、通訳のヒュースケンとともに下田に来航しました。
この時江戸への出府と将軍への謁見を経て開始された条約交渉は、井上清直(いのうえきよなお)と岩瀬忠震(いわせただなり)という2人の幕臣が担当しました。井上はハリスの下田滞在当初から応接にあたり、ハリスが友と呼ぶほどの信頼関係を築きました。両者の激しい折衝のすえ、ついに1858年(安政5)6月19日(1858年7月29日)に日米修好通商条約が締結されました。
またハリスは、ニューヨーク市立大学の創立者でもありました。同大学が所蔵するハリスの書簡やパスポート等の遺品等の関係資料を一堂に展示します。さらに、日米修好通商条約のアメリカ側の原本も初来日します。また、幕府外交官たちの活躍にもふれ、巧みな外交で新たな時代の扉を開いた江戸幕府の内なる力を明らかになります。近年、下田で井上からハリスに贈られた茶道具が米国セイラムのピーボディー・エセックス博物館で発見されました井上とハリスの交流の証が、今回初めて里帰りしますのは嬉しい限りではないでしょうか。。
そして日米修好通商条約の条文には、この条約をアメリカで批准することが決められていました。 1860年(万延1)、幕府使節団は、かつて条約が締結された米艦ポーハタン号に乗って太平洋を渡り、ワシントンの地で条約の批准を行い、遣米使節随行員の日記やアメリカから持ち帰った品々を展示し、日本の外交使節の様相を紹介します。なかでも、使節の賄方として参加した飛騨出身の俳人・加藤素毛は、帰国後各地を巡り、その見聞を語りました。その見聞録や持ち帰った品々から、日本の民間レベルにおける海外情報の伝播と受容の姿を紹介、日本が近代という新しい時代に積極的に向き合い順応することができた豊かな土壌を探ってそうです。
こんな歴史が好きな金券ショップ店長シバですが、原稿を書いていてちょっと我にかえりました。私もほんとうに日の本って大事なのではないかと感じます。
でも最近を振り返ってちょっと疑問を感じることが多いです。日の本の日本人、そして日の本に相応しくない恥かしい日本人が周りに目に付きます。これが幕末からいくつきも年を経 進歩した日本人と言えるのでしょうか。全てとは言いませんが拝金主義、そして勘違い自由の国、自分さえよければいい今の日本人に胸が痛みます。先人が託し、残した吉田寅次郎松陰の歌が頭に過ぎるのは私だけでしょうか。
美術館 オシャレしてお出かけ情報
金券ショップ店長のシバです。
最近ちょっといい気候なってきました。もう春です。
春になると気持ちも軽く、外へ出歩きたくなるのですが、
ほんとうに今年の”杉の花粉”は金券ショップ店長シバもきついです。
今、国立新美術館にて3月26日から待望のモディリアーニ展が開催されています。
アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)は、 エコール・ド・パリを代表する画家として有名で、20世紀初頭、 パリのモンパルナスで活躍していました。
今回は世界中から集められた油彩・素描約150点の出品により、国内では今までにない最大規模の展覧会となっています。どうぞこの機会にオシャレして国立新美術館なんていかがでしょうか。
当金券ショップではこの「モディリアーニ展」の券があと2枚となりました。
かなり早い者勝ちとなります。
チケット値段は一般 当日・1500円 前売・1200円 団体・1200円
ですが当店では1100円の販売となります。
(5月16日まで有効)
またこのチケットを金券ショップで購入して持参すれば当日入口で並ぶことはありません。
どうぞお天気の良い日にモディリアーニ展ですてきな一日をお過ごしください。
ただあと2枚のみの在庫ですので売り切れ時はご了承ください。
チケットですがすべて完売となりました。
大変ありがとうございます。
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こんにちは。
金券ショップ店長のシバです。
今日は連休でしたので、ちょっと足を伸ばしてオシャレな街六本木ミッドタウンで開催中のロートレック展に行ってきました。
場所柄もありますので金券ショップ店長シバも頑張って精一杯のオシャレをしたつもりです。。

今回ロートレックの予備知識は全くなく行ったのですが、まさしくロートレック展はフランスパリのムーランルージュの香りで一杯でした。
何の知識のない自分でもムーランルージュのフレーズはなんとなく知っていましたが、
ムーランルージュという言葉を今日まで音楽の曲名と間違って覚えていました。
ムーランルージュはフランスパリのダンスホールの名前です。
19世紀末に存在したロートレックはフランスの伯爵の生まれと知りました。
そして、あのムーランルージュのポースターを描いたのもロートレックでした。
彼はこのムーランルージュで女性ダンサーに恋して、絵を描き、お酒を飲み、またパリを自分の街として生きていました。
サントリー美術館ではそのロートレックが描いた絵を実際に見ることができます。
その絵からフランスパリで過ごしたロートレックの人生、またフランスパリのムーランルージュのダンスホールの音楽と雑踏を身近に実感できるかもしれません。
是非興味がありましたら見に行ってください。

帰りに同じフロアーにある「IDEE CAFE」に寄ってカフェーをしました。
ここはフロアーから外に向けて心地よい風が流れています。
まだちょっと寒かったのですが、そんな心地よさに少し感動しました。
僕は風の流れている場所が大好きです。
「IDEE CAFE」のステキなオープンテラスで音楽を聞きながらフランスパリのムーランルージュの余韻を楽しむステキな時間は僕にとって久々のくつろぎでした。
春になって空気が暖かくなったらまた来たいお勧めの場所です。

「IDEE CAFE」の店内でちょっといい感じの子豚さまをみつけました。
お店の真中あたりに並べてあった色違いの3個豚がなぜか最後まで気になりました。
値段は見ませんでしたが買ってしまう度胸はありませんでした(笑)
この3個豚は一体いくらだったのでしょうか??
行かれた方是非おしえてくださいね。

今日はオシャレな六本木の街を久々に楽しみました。
六本木にありますミッドタウンはヒルズと違う良さがあります。
これも一味違う良さなのではないでしょうか。
普段下町、ダウンタウン江東区門前仲町の金券ショップ店長シバも
今日はバリバリ、フランスパリのムーランルージュ気分でした♪

金券ショップ
1枚=900円で販売!
完売となりました。
大変ありがとうございました。
(当日券=1300円)
美術館 オシャレしてお出かけ情報

こんにちは。
金券ショップ店長のシバです。
今日は真近に迫った「ロートレック展」について触れたいと思います。
今回は大変人気のオルセー美術館 油彩画コレクション日本初公開とありまして今からワクワクです。ぜひロートレックを通してフランスのムーラン・ルージュを楽しんでこようと思っています。
ロケーションも六本木ムーラン・ルージュ!
ヒルズとか、まだ寒いですがおしゃれなお店にカフェとかありますので、
頑張ってオシャレして六本木、東京ミッドタウンの美術館で一日を過ごしてきます。
当金券ショップではこの「ロートレック展」のお得な格安チケットを
前売りよりさらに安い900円にて販売しています(2月29日まで有効)。
ただ在庫枚数に限りがありますのでお早めにご来店ください。
チケットですがすべて完売となりました。
大変ありがとうございます。
「本展では、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの油彩画、素描、ポスター、版画を中心に、19世紀末の大衆文化を伝える関連資料など約250点により、19世紀末パリの大衆文化に活躍した画家・ロートレックの多彩な活動を紹介します。
オルセー美術館からの本邦初公開の油彩画、水彩画、素描を含むロートレックコレクションをはじめ、サンパウロ美術館など国内外の美術館から集めた名品、作家としても円熟期を迎え活躍した晩年10年間の版画、ポスターなど、ロートレック芸術の全てをご紹介いたします。(サントリー美術館http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol01lautrec/index.html)」
会場:港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガーデンサイド(総合受付)ガレリア3階
会期: 2008年1月26日(土)〜3月9日(日)
開館時間:〔日・月・祝日〕10:00〜18:00 〔水〜土〕10:00〜20:00
※ただし2月10日(日・祝)は20:00まで
※いずれも最終入館は閉館30分前まで
休館日:火曜日
入館料:(当日): 一般1,300円、大・高校生1,000円、中学生以下無料
(前売券)一般1,100円、大・高校生800円
主催:サントリー美術館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション
後援:外務省、フランス大使館
協賛: ECC、内田洋行、SBSグループ、JALUX、損保ジャパン、大日本印刷、日産センチュ リー証券、日本ユニコム、富士通
特別協力:オルセー美術館
協力:日本航空、日本通運


